□■ 君とワルツを ■□ |
海賊と巫女は賭けをした。 「おれを好きになればここから攫ってやる」 巫女は表情に困惑を浮かべて呟いた。 「好きになんてならないわ」 その姿を思い返す瞬きはため息よりも重く。 憂鬱は呟きにすりかえられて空に溶けた。 「マーガレットかデイジーが欲しいな」 「何ですか、それ」 聞こえるまいと思っていただけに返された言葉が面映く、バルトは艶やかな覇気をまとわせた精悍な顔立ちを崩し、その容貌に驚くほど人懐こい笑みをして見せた。 「花の名前ぐらい知っているかと思ったけどな」 「それはわかりますよ。だから、どうして花なんかが欲しいんですか」 聞き逃して欲しいと思うことにかぎってリシャールに問いただされるのはいつものことだ。ささいなことにも気がつく性質なうえ、バルトの日常に関しては全て把握しておかなければいけないと思い込んでいるふしがある。 海賊として暮らしつつ未だにお目付け役の小姓の気持ちが抜けきらない部下の、歳相応にあどけない頬を眺めながら、バルトは鬱とした気持ちを払うように身体を反らして大きくのびをした。清かな風の乙女がバルトの濃い銀髪に祝福を籠めたキスをして去ってゆく。 「花占いがしたくてさ」 恋に憧れる夢見がちな娘たちのように、他愛ないまじないにさえすがりたいと思う自分の自信のなさを告白すると、バルトは己にあってももの慣れぬ気弱さに苦笑し、たおやかにして気丈な少女を思い浮かべた。 「あいつの気持ちが知りたいんだ」 抱きしめた胸を押し返す力は弱く、それでいて抵抗を止めぬというその一点においてバルトを完全に拒む少女。どれほど鋭いナイフをもってしても、あのか細い指先が示す拒絶よりも強い痛みをくだすことはできないだろう。 「おれを好きになっていたりしないかな」 「燈代の姫君のことですね。それは無理でしょう」 「おい、リシャール」 冷静というにはいささかあっさりとした答えに、バルトはへこみつつもじろりと睨みつけた。だがその視線に、リシャールのほうが大人ぶって呆れたようなため息をもらす。 「いえ、姫君のお気持ちではなく。殿下はここをどこだと思っているんですか」 「栄誉ある海賊が船、銀鱗のエルシダル号だろ」 殿下と呼ばれたバルトはそれに顔を顰め、だが言い争いを避けてただリシャールの問いかけのみに答える。あたりにだれもいないときならばリシャールの良いように呼べばいい。どう呼んだところで事実は変わらぬのだし、それでリシャールの気がすむなら仕方があるまい。国を追い出された王子にいつまでも忠誠を誓っていても、到底報いなどないのだ。 その生まれ育ちゆえの鷹揚さにひらひらと手を振ったバルトに対し、リシャールは生真面目にきりりと眉をつりあげた。 「お聞きしますが、こんな海の上で、どうやって殿下は花を手に入れるつもりですか」 「貴族の船でも襲ってくるか」 軽口を叩けばさらにリシャールの顔が険しくなった。 「わかっています? いままさにこの船が襲撃を受けているんですけど」 指差した先では海賊が入り乱れて剣戟の火花が散っている。そのなかで大振りの剣を持ったひときわ屈強な男を見つけると、バルトはわざとらしく迷うように首をかしげた。 「せっかくニナナリスが頑張っているのに、おれが出て行ってうらまれるのもなあ」 「どうして彼が頑張っているかわかっているんですか。あなたを守るためですよ」 悠々と酒樽に腰掛けて状況を見守るバルトの隣で、血や屍に慣れないリシャールはせいいっぱいの虚勢を示し、怯えを隠して拳を震わせていた。バルトはその緊張を和らげるように薄い唇の端を持ち上げ、まだ幼い少年の頭に手を置くと悪戯めいた笑みを見せる。 「おまえ、どっちにやきもちを焼いているんだ」 「あなたというひとは……」 からかいを含んだバルトの物言いにリシャールはがくりと肩を落とした。 「あいつも嫉妬のひとつでもしてくれればいいのにな」 「嫉妬のしようもないんじゃないですか。ぼくだったら呆れますね」 危機感の薄いバルトに剣を抜かせることを諦めたのか、リシャールは多少拗ねた調子で当てこすりを口にする。実際、バルトがこうも悠然と構えているということは、この襲撃がさしたるものではないということなのだ。とくに剣技に優れているわけでもないリシャールでも、守護天使の名を銘に刻む剣を佩いたバルトの強さは理解している。 バルトにしてみれば、どれほど尊敬とそれゆえの不満を籠めた顔でリシャールに見られようと、こころのうちを占める翡翠色の瞳の少女を思うことのほうが切実だった。どうすればよいのか、どうしたいのか、己の気持ちを量りかねたことなどこれまでなかったのだ。 それゆえ少女の前でとる自分の行動も苦々しいと思うほどに無様なもので、バルトは思い返しては苛立つままに舌打ちをもらす。 そっけなく、興味などないといった態度をとり続ける燈代の姫に、バルトは先日わざと女もののハンカチを落として見せた。娘のアニーのものだったが、それを拾い上げて丁寧に折りなおすと、燈代の姫は聞き分けのない子供に対するように微笑みながら、あなたを待っているひとのところにはやく行ってあげてはどうか、と言ったのだ。 「つまらない小細工をするよりも、贈り物でも贈ったほうがいいですよ」 賢しらにそう言い諭すリシャールに向ける眼差しが、つい冷ややかなものになる。 「腹が立ってしかたないんだよ。あいつ、おれに会えなくても生きていられるんだぞ」 同じだけ苦しいのでなければ理不尽な気がするのだ。こちらばかりが相手の所作のひとつひとつにうろたえているのかと思うと嫌になる。その、どこか困ったような微笑も、うつくしければうつくしいほどに腹立たしい。 「おれはあいつを思い出すだけで苦しいのに、笑って出迎えられてみろよ、めちゃめちゃにしてやりたくなる」 「まるで笑って出迎えられたことがあるようないいかたですね」 「うるさいな。なんであいつ、おれが会いにいくと泣くんだよ」 微笑みが泣き顔に変わるのはいつも前触れのないほんの一瞬のことだった。わずかな瞬きや、緊張の吐息、むりやり劣情を押さえ込んだ手を伸ばすことを耐えたときと、どれもがあまりにささいなことで、なにを理由に燈代の姫が瞳を潤ませるのかわからなかった。 「まあ、花占いをするよりも、花束を贈ったほうがいいということじゃないですか?」 心底思い悩むバルトに、空とぼけた調子でリシャールは答える。船員のなかでも若い部類に入るリシャールでさえ、主たるバルトと燈代の姫のやりとりははがゆく思えるのだ。気持ちが見えないのは互いだけで、傍から見ているほうとしてはどうしてもっと上手くやれないのかと、陸にあがるたびいつもやきもきしてしまう。 配下の心情をよそに、バルトはリシャールの提案に小さく鼻で笑った。 「花束なんて抱えていったって意味がないだろう」 会えばそれを放り投げ、抱きしめてしまうことしか考えつかないのだ。その衝動をいったいいつまで抑えていられるか。優しくして懐かないなら、いっそひどく苛めてやりたい。 「おれなしで生きられないようにならないなら、とっとと死んでしまえばいい」 踊るように流麗な動きで立ち上がると、バルトはその腰の剣をすらりと抜き払った。その刃同様、きらやかにして鋭い光を湛えた瞳であたりの敵を見据えた顔には、いつもどおりの余裕に満ちた微笑が晴れやかに広がっている。 「リシャール。おまえはしっかりアニーをしまっておけ」 リシャールは与えられた命令に怪訝な表情で首をかしげたが、それまでバルトが腰掛けて隠していた酒樽のなかから飛び出そうとするアニーを見つけ、うわと叫び声をあげた。 勢いをつけて駆け出したバルトの身体はすでに海賊たちの喧騒のなかにある。 「触れられないなら壊してしまおうか」 白刃を閃かせ、返り血を浴びながら陶然と呟く言葉は、彼方に在りし愛しいひとへ。 「おれが耐え切れず壊してしまうまえに、おれのことを好きになれ……」 そうすれば、優しく、優しく愛してやれるのに。 その身は遥かに遠くとも、思いだけは離れがたく。 剣の柄をきつく握り締め、風の乙女たちにその願いを託した。 ルチア。 「おれを好きになれ」 |
2003.9.28〜2004.9.28の期間で「吐息と灯り」というサイトにて公開していました。 |