□■ 燈代のルクレツィア [16] ■□


 精製された鉄と古めかしい石が互いに打ち合って火花が生まれる。
 生命を産み出すしなやかな木と、ひとの手で変形させられた真鍮を組み合わせて作られた銃が、ひやりと突き刺すような冷気を発するかのごとくクラウスには思えた。懐には真新しいハビエルの銃があり、腰には慣れ親しんだロビニアスの銃がある。見た目にはあまりかわらないそれらは飾り気のない無骨なもので、ただそれに籠められた思いだけが違っていた。
 魔物を仕留めるためならば命など失ってもかまわない、そう思っていた自分の視野の狭さに今更ながら気づかされる。たとえ憎しみや苦しみといった感情を抱えたままであっても、無事に生きていて欲しいと願ってくれるひとがいるのだ。なにかを恨み続ける自分であっても、出来うるならば安息の地を与えたいと、待っていてくれるひとがいるのだ。
 それを思えば、手にした銃から感じられる冷ややかさは冷静さを維持させるものでしかなく、実際に吐息をさえ凍らせるのはクラウスを取り囲む大気である。
 視線を巡らせれば、白樺の幹さえ覆う雪の結晶があたりを銀に染めていた。
「木の股を見ても盛るとはクラウスはさすがに若いな」
 能天気な相棒の軽口にクラウスは眼差しだけでげんなりとした心情を示す。
「わたしくらいの歳になるとこんな寒さでは凍えてしまってせっかくの幹も縮こまるものだが」
 自身の言葉に笑う緋粋には無視を返しながら、クラウスは岳樺の皮を剥ぎ取った。そのほかのあたりの木の皮は鹿が口にした跡があり、この森でも動物が生息していることが知れる。
 氷の魔女の森、と幼少期に必ず寝物語に聞かされるそこは、雪の照り返しのせいで思っていたよりも明るい。だが教会から一度南下し、川を遡るようにして北上してきたのは、この森にひとの踏み入れる道がないからだ。樺の木々の先端に覆いかぶさるように停滞する雪雲は森のなかを気まぐれに移動し、ひとびとの願いなど知らぬというように、吹雪と快晴を交互に振りかざす。森を跨ぐように旅をするものはかならず南側の川で渡し守を使うのが習いだった。跳び上がり天かける緋粋の背に乗り南下する際には時を稼いだが、こうも不安定な天候では風に飛び乗る柘榴狼だとて、地上を駆けたほうがまだ早い。
 また振り落とされたらたまらないからな、とクラウスは集めた岳樺を組んで銃の火打ち石を鳴らした。まじないの掛かった紙薬莢で包んだ火薬と油分の多い木の皮が弾けて、黒い煙と共に炎が燃え上がる。暖をとるために銃を使うのは慣れたものだ。このまま、本来の使い道をなくしてしまうかと思っていたが、思わぬところから魔物への手がかりを得た。
 火花が散るのを目にすれば、自然と思いはルクレツィアのことへと行き着く。
 思い出すのは別れたときの夜の姿ではなく、彼女本来の、黒髪のルクレツィアだった。日々思い悩んで暮らしているせいか、痩せて血色のない頬には愛おしさよりも哀れみがさきにたつ。崇められ、求められ、自身をすり減らしながらも、なおルクレツィアは与えることをやめない。炎のうつくしさよりも、純化された使命に健気に答えようとする闇を凌駕する強さにこそ、クラウスは目を奪われた。
「俺はずっと、魔物を殺しさえすれば、それでいいと思っていた」
 目前に流れる川から立ちのぼる靄を見つめながら、クラウスは隣に身体を寄せる緋粋の背を撫でた。靄の揺らぎが妖艶な美女となり深い川へと誘い込むが、すべてはまやかしだ。
「俺の父親は、俺のことを他の兄弟と同じように扱ったが、母親はまるではれものにさわるように接した。俺が、略奪にあっているときの子供だからだ」
 草原が、まだ部族間の争いが絶えなかったころのことだった。母が悪いわけではない。女を殺す習慣のない部族のなかで、女は財産として奪われるのが常だった。それでも母のなかでは自身を取り戻してくれた父に対し、なにか後ろめたいような気持ちがあったのだろう。ほかの子供と同じように接しようとする緊張がかえって不自然な緊迫を生んでいた。
「それを恨んだことはない。悲しいことだとは思ったけどな。俺が祖父のところに通ったのは、兄弟のなかにいて落ち着かなかったせいもある。でもなにより、じいさんを好きだったからだな。祖父秘蔵の蜂蜜酒とおなじだけ甘いひとだった」
「ロビンはいいやつだったからなあ」
 ロビニアスの愛称を呼び、緋粋は懐かしむようにあたたかな声でそれだけを返した。祖父をともに懐かしむ相手がいることは、クラウスにとってこころの安らぎである。ふと、ハビエルにはロビニアスの思い出を語りあう相手がいるのだろうか、という疑問がわいた。
「緋粋は、ハビエルとじいさんの話をしたことがあるか」
 びくり、と脈動を刻む獣の身体が震える。
「あのこはわたしを恨んでいる。わたしがいなければ、ロビンのもとにあいつが来ることもなかった」
 悔やむ緋粋に、似たような台詞をハビエルからも聞いたことをクラウスは思い出した。
「ハビエルが緋粋を恨んでいると、はっきり言ったのか」
「あのこは自分の気持ちをそうやすやすと明らかにするこではないよ」
 緋粋にしては珍しく頑なな言い方に、クラウスは呆れ返って大きく息を吐く。
「ハビエルが俺に言ったよな。自分がいなければロビニアス師が死ぬことはなかったかもしれないって。だけどべつに、俺はハビエル自身をそれを理由に恨んでいたりはしない。ハビエルも緋粋も、己を責めるばかりだ。どう考えても恨むならあの魔物だろう」
 すくなくとも、クラウスはそうだった。魔物に対して怒りや憤りはあるが、緋粋がいなければよかったのだ、などと思ったことはない。
「ふたりでじいさんのことを話すのが辛いなら俺も付き合ってやるから、今度は俺も宴会に参加させろよ」
 見上げた空からは、冷たくもやわらかな氷の蝶が降り始めていた。
 吐息が白い。


2003.9.28〜2004.9.28の期間で「吐息と灯り」というサイトにて連載をしていました。