□■ 燈代のルクレツィア [22] ■□ |
中庭にある祭壇の隙間から続く階段をくだり、分かれ道を正確に辿ればめざす部屋の暖炉へと出る。鼓動と同じだけの騒がしさで隠し扉を通り抜けると、クラウスは椅子に腰掛ける枢機卿ハビエルに向かって、息のきれるままに叫んだ。 「ハビエル、ルクレツィアは無事か」 くるりと振り返ったハビエルの表情には、クラウスの慌てぶりを面白がるような苦笑があり、いつもどおりのそれに、クラウスはほつと安堵の息をついた。 だがすぐにハビエルの眉が寄ったのを見逃さない。 「ハビエル?」 「ううん。どうしてクラウスは間が悪いのかなあって考えていたんだよね」 「間が悪い……?」 「そう。頭が悪いとか趣味が悪いとかなら、まだ改善の余地があるような気がするけど、でも根性が悪い、よりはましかなあ」 「なんにしろ、俺が悪いことにかわりはないわけか」 体勢を整えてクラウスがハビエルに近づくと、そのクラウスのむっとした表情に、さすがに言い過ぎたと思ったのか、ハビエルがわずかに肩をすくめる。 「だってねえ……」 のんびりとした口調でハビエルが説明をしようとするのに被さり、部屋の扉がばたんと音をたてて開かれた。そこに現れたのは、法王の衣をきた壮年の男と警備兵である。 真紅の長衣をまとい、厳しい顔をした壮年の男は、法王というより鍛え上げられた軍隊の将軍のような猛々しさがあった。一目見て、ハビエルと気が合いそうにないことがわかる。軟弱な若造、とハビエルを軽んじていることも見て取れた。 その法王の、苦く歪められていた唇が、これ以上面白いことはないというように、にこやかに微笑みの形を取る。 「枢機卿ハビエルどの。燈台代理をかどわかしたのは貴公に間違いはないようだな」 「ほらね」 ハビエルが法王を無視するかたちで背後に立つクラウスを振り返ったが、クラウスにしてみればそこで笑っているハビエルの気がしれない。 「あんたいったいいつルクレツィアをかどわかしたりしたんだよ」 「それはたぶん、クラウスが手ひどい拷問を受けて無理やりしゃべらされることになるんじゃないのかなあ。けっこうね、うちの教会の拷問ってたいへんだよ」 「たいへんだよって、俺か、俺なのか」 ちがうだろう、と呟くクラウスの声など聞こえていないのか、警備兵がクラウスに近づいてくる。その手には長槍が持たれ、クラウスを取り囲むように間合いを詰めてきた。 「薔薇硝子の塔に、獣が現れたと報告があったのだ。獣使いといえばそこにいるそなたであろう。そなたがハビエルどのの聖騎士であることは、その腰の銃が証拠である」 緋粋は中庭に残してきたが、たしかに銃はクラウスの腰に下げられている。教会内のものが見れば、クラウスがハビエルの信頼する聖騎士であることはすぐにわかるだろう。そういう証としてハビエルがクラウスに与えたものなのだ。 身柄を拘束する、と宣言した警備兵たちに、クラウスは冷たい笑みを浮かべた。 「おまえらに俺を捕まえられるかよ」 警備兵が三人ていどでは、到底クラウスに叶うものではない。そんなことは槍を持つ姿勢からすぐに見抜ける。 低い声で凄んで見せたクラウスは腰の剣に手をかけたが、そのクラウスが庇おうとしたハビエルが、にこにことした笑顔で緊迫した雰囲気に割って入った。 「うん。だからね、さきにぼくを捕まえておいたんだと思うんだよね」 ほらね、と見せられたハビエルの手はすでに厳重に縛られていた。 もう少し早くそれを言え、と怒鳴りつけそうになって、クラウスは言っても無駄なことに気づきため息をはく。 「それでねえ、クラウス」 「なんだ」 剣を抜こうとしてそのままの姿勢で固まっていたクラウスに、ハビエルが今までの穏やかな口調ではなく、仄かに硬い声をかける。 「ぼくはあんまり我慢強いほうじゃないから、なるべく早く帰ってきたほうがいいよ。でないと、あることないことクラウスの恥ずかしい過去を語ってしまうと思うから」 「どうしてそこで俺の話になるんだよ。あんたの恥ずかしい過去でも大人しく語ってろ」 くるりと受身をとりながら警備兵の手をかわし、クラウスは再び暖炉の隠し通路へと身を潜ませた。そしてあとは後ろをふりかえらずに、全力で通路を駆け上がる。 ハビエルが逃げろというなら、無理にここで争うより、逃げてルクレツィアを探したほうがいい。ルクレツィアを連れて戻れ、とハビエルが指示する以上、ハビエルの心配をすることはないのだ。 そもそもおとなしく捕まるような男ではない。ならば、あえて捕まったとしか思えない。 これを機会に法王を逆に追いおとすつもりか、それともたんに面白そうだったからか。 どちらにしろ、クラウスがハビエルの真意を知るためには、ハビエルの無実の証拠であるルクレツィアを見つけ出し、教会に連れ戻さねばならない。 「緋粋!」 緋粋でなければ、獣とは黒き獣のことだろう。 今度こそ逃がさない、と決意をこめて奥歯を噛み締める。 「これ以上、奪われてたまるものか」 無力な子供であったときの悔しさを思えば、わずかでも望みがあるならなににでもすがろうという気になる。 飛び乗る背中に命じ、黄金の軌跡をまなうらに確かめた。塔から強いひかりがこぼれ、その輝きのかけらは天空に連なる星ぼしがごとく、濁流となってあたりに舞い散っている。 そのなかで、木の葉が河を流れるように、明確な跡が大気中に残っていた。 夜のうちに追いかければ、その黄金のひかりは糸となりクラウスを導くだろう。 クラウスの凍るような蒼い瞳に、焦りと憤りの色が浮かぶ。 ルクレツィアを塔から連れ出すのは、自分だと思っていたのだ。 しがらみなく、楔なく、晴れやかな気持ちで塔からさらってあげたかったのだ。 守りたいという思いが、クラウスのなかに確固たるものとして芽生えていた。 |
2003.9.28〜2004.9.28の期間で「吐息と灯り」というサイトにて連載をしていました。 |